[14] 世界初の北米大陸横断 〜インバネスとストーノウェイ〜

 

 

 

 

 午後9時にインバネスに着くが、まだ日が出ている。思いっきり北国である。街は思ったよりも都会で、午後10時を過ぎても若者たちが闊歩している。宿の近くにインバネス城(写真38)があった。ネス川のほとりの小高い丘の上に立っているが、堀や城壁などはなく、実戦向きではなさそうである。前に建っている像はフローラ・マクドナルドである。

 翌朝早起きして、ストーノウェイに向かう。朝8時にインバネスからバスに乗り、アラプールの港に行く。そこでフェリーに乗り換え、アウター・ヘブリディーズ諸島のルイス島に行くのだ。そこには世界で初めて北米大陸を横断した探検家、アレクサンダー・マッケンジーの出生地があるのだ。

テキスト ボックス: 写真39 インバネス城。 ルイス島のストーノウェイ(写真40)の港に13時15分到着。この船が再びアラプールに戻るのは13時45分である。わずか30分しかないが、目的地はわずか2ブロック先、Kenneth St.とFrancis St.の角にある。現在はマーチンズ・メモリアル教会が建っているが、マッケンジーの生家はここにあった(写真41)。片道5時間で滞在はわずか30分、この写真1枚を撮るためだけにこんな地の果てまで来たのかと思うと、感慨深いものがある。ちょっとした探検家気分である。

 

テキスト ボックス: 写真40 ストーノウェイ。右端がマーチンズ・メモリアル教会。 アレクサンダー・マッケンジー(1764−1820) はストーノウェイに生まれ、10歳のとき家族で伯父のいるニューヨークへ移民するが、すぐに独立戦争に巻き込まれ、カナダのモントリオールに移住する。1787年ノースウェスト社の交易商人となり、太平洋に抜けるルートの開拓に努めた。1789年探検に向かった彼は、カナダ最長の川を発見し、ボーフォート海に出た。これは彼が北極に抜けるルートを開拓したことになるが、交易の役には立たず、失望した彼は川に「失望の川」と命名している。後年この川を「マッケンジー川」と命名したのはジョン・フランクリンである。

テキスト ボックス: 写真41 アレクサンダー・マッケンジー出生地の碑。 1793年、彼は再び太平洋ルート開拓の探検に出発し、今度はロッキー山脈を横断してブリティッシュ・コロンビア州ベラ・クーラの海岸に抜けた。これは世界初の北米大陸横断(メキシコ以北で)である。彼が自らの偉業を刻んだ岩が、今日も残っている。

 “Alex Mackenzie from Canada by land 22d July 1793”(写真42)

 これも結局は難所が多く、交易ルートとしては役に立たない発見だったが、大英帝国はこれにより太平洋岸領有権を確実なものにした。

 彼はその年イギリスで最も話題にのぼった人物となり、1801年に出版した探検記は好評を博した。1802年にはナイトに列せられ、1804年から1808年までローワー・カナダの議員を勤めている。同じ探検家のデビッド・トンプソンらが不遇に終わったことを思えば、彼は努力が報われたといえよう。

テキスト ボックス: 写真42 マッケンジーが刻んだベラクーラの石。

 

 

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