[13] 軍人,ボクサー,発明家,ビジネスマン,そしてスパイ・・・

   William Samuel Stephenson(1896−1989)

 

 マニトバ州ポイントダグラスに生まれる。ミドルネームのサミュエルは、電信機と電信記号を開発したサミュエル・モールスにあやかってつけられた。数学が得意だったスティブンソンは、子供のころ飛行機と機械いじりが大好きで、蒸気エンジンや電信機を自力で作り、独自に改良したモールス信号で船と交信さえしたという。

 第一次大戦が勃発すると、祖国愛に燃える彼は高校を出てすぐに工兵隊に入隊し、フランスの最前線で活躍して18歳にして大尉に昇進するが、毒ガスを吸って肺を破壊され、終身傷病者の宣告を受ける。だが強靭な体力によって奇跡的に回復し、今度は飛行機に乗りたい一心で病歴を隠して航空隊に入隊し、わずか5時間の訓練ののち空の戦場に飛び立つ。その間1918年には、高校時代から続けていたボクシングでアマチュアライト級世界チャンピオンの座に就き、「キャプテン・マシンガン」の異名をとった。

テキスト ボックス: 航空隊時代のスティブンソン。 26の敵機を撃墜する大戦果を挙げたが彼だったが、1918年7月に撃墜されてしまう。幸い足を負傷しただけで済み、ドイツのホルツミンデン収容所に送られるが、10月に脱走し、終戦を迎える。

 終戦後オックスフォード大学でラジオの研究を始め、スローン・ベーカー教授の協力を得て、光を電流に変える実験に成功し、無線による写真電送(彼らはこれをテレビジョンと呼んだ)を発明。これにより世界中のどこででも撮られた写真は、その日のうちに新聞での掲載が可能となり、19221227日に最初の電送写真(2人のスキーヤーの写真)がイギリスのデイリーメイル紙に掲載された。なおこの装置では20秒に1回電送可能で、速度を上げることで動画(テレビジョン)実現への道を開いたという意味においても画期的であった。

 この発明で特許を取った彼は、その利益を元に実業界に入り、世界最大のスタジアムの建築を手がけたアールズコート社、イギリスの車体の90%を製造するプレス鉄鋼社、イギリスのフィルムの過半数を製造するサウンドシティフィルム社、ゼネラルラジオ社、アルファセメント社、プラスチック製造のカタリーナ社などのオーナーとなり、政財界の要人とも親交を深めていった。

 彼はスウェーデンに製鉄所を所有し、鉄鉱床も握っていたが、ヒトラーも軍備拡大のためそれを狙っており、スティブンソンは次第にイギリス情テキスト ボックス: スティブンソンと写真電送機。報部MI6に接近していく。第二次大戦が始まると、彼はMI6のニューヨーク支部として英国安全保障調整局(BSC)を設置し、局長となる。当初中立を保っていたアメリカでは、ドイツが公然とスパイ活動を行っていたが、国務省は戦争に巻き込まれるのを懸念して取り締まろうとしなかったのである。BSCの主な任務はアメリカ国内における対ドイツ諜報活動だったが、最も重要な任務は、アメリカを連合国側で参戦するよう促すことだった。スティブンソン自身もまた「イントレピッド(勇敢)」のコードネームで呼ばれる情報部員として活動したが、彼の部下に元新聞記者のイアン・フレミング中佐(コードネームは17F)がおり、オンタリオ州オシャワの「キャンプX」でスティブンソンからスパイの訓練を受け、ともに手紙の検閲、文書の偽造や、日本総領事館から暗号書類を盗み取るなどの働きをしたという。フレミングはこれらの体験をもとに007シリーズを書いたと言われる。

 スティブンソンの伝記で最も有名なものとしては、名前の酷似した友人でジャーナリストのウイリアム・スティブンソン(Stevenson)による「イントレピッドと呼ばれた男」があるが、後にデビット・ニーブン主演で映画化され、美人スパイ・マデレーヌの活躍と銃殺、原爆製造のためナチスに目をつけられていたニールス・ボア博士のコペンハーゲンからの救出などが描かれている。

 また1945年のグーゼンコ事件では、グーゼンコの持つ書類の重要性をいち早く見抜き、暗殺の危険にさらされた彼と家族をキャンプXに保護している。スティブンソンの「イントレピッドの最後の事件」はこれを題材に書かれたものである。

 この事件を最後に彼は諜報活動から足を洗い、しばらくバミューダで暮らしていたが、ジャマイカに居を移し、実業界に復帰して、カリビアンセメント社を設立し、ニューファンドランド開発公社代表、マニトバ経済諮問委員会委員長に就任。1953年には友人でダイヤモンドシンジケート理事のジョン・ダンから額面が未記入の小切手を送られ、南アフリカの鉱山でダイヤを盗掘し密輸している一味を取り締まるよう依頼されたが、

「私は裏の世界から表の世界に戻ったばかりです。貴殿は事の重大さを理解しておられません。こテキスト ボックス: 映画「イントレピッドと呼ばれた男」。中央はスティブンソン役のデビッド・ニーブン。れはアフリカだけの小さな問題ではなく、世界を股にかけたギャングによって動かされているのです。恐れているわけではありませんが、その種の仕事には十分すぎるほどたずさわってきており、私は日の当たる世界で暮らしたいのです」

という手紙を送って断わっている。フレミングはこれを題材に「ダイヤモンドは永遠に」を書いているが、このタイトルはシンジケートのスローガンから取ったものである。

 スティブンソンはアメリカから外国人として初めて大統領功労賞、フランスからはレジョン・ド=ヌール勲章を授与され、カナダではナイトの地位を賜わり、陸軍情報局名誉司令官に任命された。ところで007シリーズには、カナダとバミューダを背景にしたものが多い。ジェームズ・ボンドの「伝記」を書いたジョン・ピアソンによれば、ボンドは実在する人物で、スティブンソンと同じホテルに滞在していたという。するとスティブンソンは、ボンドの上司「M」のモデルということになるのだろうか。なお「ジェームズ・ボンド」の名は、トロントにある聖ジェームズ・ボンド教会にちなんでつけられたと言われている。

 

 

 

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