●羅生門

 

 

1950年日本
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬、千秋実、上田吉二郎

 

 芥川の原作では真相は文字通り「藪の中」で、読者に明かされていない。芥川にとって真相など問題ではなく、自己の都合で嘘をつく人間の業の深さを訴えたかったのだと思う。それはこの映画においても、樵が「もう何もかも信じられねえ」と嘆いていることから、同様であろう。
 だが黒澤は、原作にないラストシーンを用意していた。人の嘘の醜さを嘆く樵でさえ、嘘をついていたと下人は暴露するのである。凶器の小刀が現場から消失しているのは、樵が盗んだとしか考えられない。それどころか、彼が殺人犯である可能性すらあるのである。
 そのとき、赤子の声が聞こえて来る。誰かが羅生門に子を捨てたのだ。乱れた世だからこそ、薄情な親がいる。下人は赤子を包んでいた着物を剥ぎ取って去ってしまう。彼はどこまでも自分に正直だ。自分の欲に従い、それを隠そうともせず、人の嘘を暴きたてる。登場人物の中で彼だけが、嘘をつかない人物である。
 雨は上がり、羅生門に日差しが差して来る。樵は赤子を抱き「この子は俺が育てる」と言う。本当だろうか。人買いに売ったりしないだろうか。旅法師は、疑いもしなかった。疑うことからは、何も生まれてこないと知っていたからである。
 朝廷の権威は失墜し、羅生門は崩れかかっているが、雨露を凌ぐ用をなしている。子を捨てるような薄情な親もまた、その子に高価な着物を着せてやるだけの慈しみはある。この世に完全なものなど、何もないではないか。樵は、嘘をつき、盗みを働くような自分でさえも、この小さな赤子を守ってやれる力があると気づかされたのだ。
 崩れかかった羅生門を背景に、夕日を背中いっぱいに浴びながら、赤子を抱いて家路につく樵の笑顔の、何と晴れ晴れしたことか。いつまでも降り続く雨がないように、いつまでも続く戦乱もない。いつの日か乱世は終わり、人の心にも救いの光が差すときが来るのだろう。

 

 

 

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