●主権・連合運動Mouvement souveraineté-associationMSA

 主権連合運動→ケベック党

【歴代党首】
初代 ルネ・レベック(1967〜1968)

 

 自由党政権の閣僚を務めたルネ・レベックは、1967年の自由党大会でケベック独立政策の採択を拒否されたため、離党して同年11月新党「主権・連合運動」を旗揚げした。これはケベックと残りのカナダの間の「主権・連合」を推進するものであった。
 他の独立諸派にも結集を呼びかけたレベックは、19681014日の最初の党大会で、民族集合とテキスト ボックス: ケベック党結成を発表するレベック(右端)。合併しケベック党を旗揚げすることを決定した。新党党首には主権・連合運動党首のレベックが、副党首には民族集合党首のグレゴワールが就任した。1026日には、民族独立連合のブルゴール党首が党を解散し、ケベック党に編入した。
 主権・連合運動はわずか1年の短命に終わったが、ケベック独立諸派を結集するというカナダ政治史上における重大な役割を演じた。この後3度の選挙を経て1976年、ついに独立派のケベック党が初めて政権の座テキスト ボックス: 過激派の民族独立運動との合併を危惧した漫画。に就くことになるのである。



 

●ケベック党Parti Québécois

 主権連合運動→ケベック党

【歴代党首】
初 代 ルネ・レベック(1968〜1985)(首相1976〜1985)
第2代 ピエール=マルク・ジョンソン(1985〜1987)(首相1985)
第3代 ジャック・パリゾー(1987〜1996)(首相1994〜1996)
第4代 ルシエン・ブシャール(1996〜2001)(首相1996〜2001)
第5代 ベルナール・ランドリー(2001〜2005)(首相2001〜2003)
第6代 アンドレ・ボワクレール(2005〜2007)
第7代 ポリーヌ・マロワ(2007〜 )


 ケベック党は最初の5人の党首全員が首相に就任し、また1970年の最初の選挙を除いて、2007年まで常に第二党以上の位置につけていたケベックの主要政党である。支持層は圧倒的にフランス系であり、イギリス系や少数民族からの支持の獲得には苦戦している。地盤はモントリオールのイーストエンドと、州北部・東部である。
 民族主義の多くが右翼であることとは対照的に、ケベック党は社会民主主義を標榜する左派政党である。これは、カナダにおけるフランス系の非主流意識が影響していると考えられる。カナダで最も保守的とされるアルバータを地盤とする改革党が「ケベックを独立させろ」と主張するが、決して自分たちの独立は主張しないことと比較してほしい。だが多くの社会民主主義政党と異なり、ケベック党は労働組合との接
テキスト ボックス: ルネ・レベック。点がないことにも注意されたい。

 自由党政権の閣僚を務めたルネ・レベックは、1967年の自由党大会でケベック独立政策の採択を拒絶され、離党して新党「主権・連合運動」を旗揚げした。そして1964年に結成された同じ分離主義の「民族集合」と合併し、1968年ケベック党が誕生したのである。
 ケベック党の政策は、政策綱領によると「民主的手段によるケベックの主権獲得」にある。英語系メディアでは、分離・独立主義の過激政党として紹介されることがあるが、確かに結党当初は独立を強く志向してはいたものの、政権に就いて以降、ケベック州の「主権」の獲得へと軌道修正している。政策綱領をよく読むと「分離・独立」という表現は一度も登場しないのだ。同党は選挙でしばしば「独立」を争点として訴えないことがあるが、対立党から「争点隠し」だとして逆にアピールされることも多々あるほどである。
 ケベック党の政策は、フランス語憲章(101号法)とケベック独立がよく知られているが、同党はケベック領土に影響を及ぼさない限り先住民に自決権を認めたカナダ最初の政権でもある。フランス語社会への融合を前提としつつも移民受け入れには寛容であり(ミーチレイク協定でカナダ移民の30%をケベック州に誘致するよう要求して非難された)、ほかにも企業献金を禁止し個人献金を3000ドルに制限したこと、ケベック電力公社設立による公有化など、ケベック党の政権が一時のブームで終わらずその後も二大政党の一翼を担っているのは、民主的な政党として州民に訴える政策を持っているからであろう。
 1980年、ケベック党政権は初めて「主権・連合」の是非を問う住民投票を実施したが、賛成40.4%、
反対59.6%で否決された。レベックは後に、独立問題を選挙の目的にしてはならないと主張し、独立を支持する強硬派の反発を買い党首を辞任した。
 1995年には再び「独立」の是非を問う住民投票を実施したが、賛成49.4%、反対50.6%で再び否決された。パリゾー党首は「金とエスニックのせいで負けた」と語ったが、これはケベック独立問題が、ケベック州民みなのためのものではなくフランス系のためのものであるかのごとき問題発言であり、彼は辞任を余儀なくされた。後継党首にはケベック連合のルシエン・ブシャールが就任したが、彼は勝てる状況が整うまで住民投票は実施しないと語った。
 2007年州議会選挙でケベック党は議席を大幅に減らし、1973年以降初めて第三党に転落した。ボワクレール党首は辞任し、党首選が行われたが、ポリーヌ・マロワが下馬評で圧倒的な支持を集めた
テキスト ボックス: ポリーヌ・マロワ党首。ことから、他の候補は全員出馬を断念し、マロワが無投票で後継党首に当選した。

 

 

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