●自由進歩Liberal-Progressive)

進歩党→自由進歩党→消滅

 

 

 「自由進歩党」は、1926年から53年までの間に多くの候補者が名乗った会派名である。彼らは進歩党の分派であり、自由党との間に選挙協力を結び、統一候補として立候補した。党則も党章もなく、党としての実態はなかったが、彼らは自由進歩党の幹部会を開催しながら、同時に自由党幹部会に出席することを認められていた。
 1921年総選挙で進歩党が連邦議会に進出し、カナダは三党制へと移行した。カナダはこの後しばらく、二大政党のいずれも過半数を獲れない状態が続いた。進歩党はキャスティング・ボートを握っていたが、第三の独自の道を行くか、それとも自由党政権を支えるかで意見が分かれた。
 1926年までには、進歩党は事実上分裂した。そして自由党のシンパは、自由進歩党の名の下に自由党との統一候補として選挙を戦った。
 進歩党のマニトバ支部は、1926年総選挙において自由党と選挙協力を結び、7人の統一候補を立てた。マニトバ州では保守党が得票率39.7%を記録し、自由進歩党の19.5%や自由党の18.4%などを大きく引き離していたにもかかわらず、1議席も獲得できず、自由進歩党の7議席(全員当選)や自由党の4議席に大きく水をあけられる結果となった。全国では自由党116議席、保守党91議席、進歩党11議席、アルバータ農民連合11議席、自由進歩党8議席、労働党4議席、オンタリオ農民連合1議席、無所属3議席(定数245)となり、自由党が過半数に達しなかったものの、自由進歩党と合わせて事実上の過半数を獲得した。全国での自由党の得票率は42.9%で、保守党の45.4%を下回っていた。
 総選挙後、リーダーのロバート・フォークはキング内閣の移民及び植民地大臣に任命された。彼は1929年上院議員に指名さテキスト ボックス: ロバート・フォーク。れ、自由進歩党唯一の上院議員となった。

 マニトバ州には「自由進歩党」を名乗る党が実在したが、本項で説明した連邦党とは直接の関係はない。
 マニトバ進歩党は1932年、ジョン・ブラッケン首相のリーダーシップの下にマニトバ自由党を吸収し、マニトバ自由進歩党と改称した。同党は1961年、党名をマニトバ自由党に改めた。

 

 

 

 

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