[7] 血ぬられた王都 〜ロンドン〜

 

 

 ロンドン塔は本来、シティの権勢を威圧する目的でローマの砦跡に築かれたものである。一時王室の居城になったこともあったが、その歴史の大部分は政治犯の幽閉と処刑のために使われてきた。

 1674年、チャールズ二世の命によりロンドン塔の一部が取り壊されたとき、ホワイト・タワー(写真23)の外階段の下で、封印された木箱が見つかった。中には子供二人の遺骨が入っていた。そのとき誰もが、200年近く前にロンドン塔のブラディ・タワー(写真24)に幽閉され消息を絶った、幼テキスト ボックス: 写真23 ホワイトタワー。いエドワード五世とヨーク公リチャードの兄弟のことを思い出した。

 遺骨は鑑定に付され、大きい方は身長140センチ、小さい方は125センチであり、身体的特徴かテキスト ボックス: 写真24 ブラディ・タワー。ら血縁関係にあることが分かった。また、骨の硬化の進行度から、大きい方が12〜13歳、小さい方が9〜11歳と推定された。さらに、年長の方の顔の骨には赤い斑点が残っており、窒息によって生じた血痕であることも判明した。木箱のなかにはベルベットの残骸も残っていたが、ベルベットが生産されるようになったのは15世紀になってからであり、極めて高価だったため、着用していたのは相当に地位の高い者であることは明白で、鑑定グループはこれをエドワード五世とヨーク公リチャードの遺骨であると断定した。

 ウォルター・ローリーはこのブラディ・タワーに13年幽閉され、そこで「世界の歴史」を執筆している。彼の書斎(写真25)も残っているが、彼は結局ウエストミンスター寺院で処刑された。

 マーチン・タワー(写真26)では、ヘンリー八世の2番目の妻アン・ブーリンの兄ジョージが処刑された。それはまず首を吊って絶命間際に縄を切り、鋸で腹を切って腸をつかみ出し、最後に四肢を切断するという凄惨なものだった。アン自身は男子をテキスト ボックス: 写真25 ウォルター・ローリーの書斎。産めないという理由で、グリーン・タワーテキスト ボックス: 写真26 マーチン・タワー。で首を刎ねられている。グリーン・タワーでは、9日間王位に就いた17歳の女王ジェイン・グレイも処刑された。

 

 首相官邸のある有名なダウニング街のはす向かいに、かつて火災で焼失したホワイトホール宮殿の一部であるバンケティング・ハウスが残っている。清教徒革命の結果王政は廃止され、共和制の首領オリバー・クロムウェルは国王チャールズ一世を1649年1月30日、この前の広場(写真27)で処刑した。

 クロムウェルはハンティングドンに生まれ、ケンブリッジ大学のシドニー・サセックスカレッジに学ぶが、経済的理由から中退。清教徒革命では鉄騎隊を組織して劣勢だった議会派の勢力を盛り返し、ネーズビーの戦いに勝利して王党派を壊滅させた。終身護国卿に就任し独裁者となった彼は、武力で反対派を議会から追放し、イングランドの内政に干渉するアイルランドとスコットランドに軍を送って蹂躪した。

 

テキスト ボックス: 写真27 チャールズ一世処刑の地。

 

 

 

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