[15] 国富論と国際標準時 〜カーコルディ〜

 

 

 

 カーコルディは、エジンバラから電車で50分のところにある小さな町である。メインストリートはHigh St.で、ここだけは歩行者天国になっている。

 この小さな町のHigh St.で、世界的な偉人が二人生まれている。一人は「経済学の父」アダム・スミス(1723−90)である。High St.の220番地(写真8)は彼の母の実家であり、ここが彼の出生地とされているが、定かではない。

 彼の父は出生前に死亡しており、17歳で未亡人となった母がスミスを育てた。彼はグラスゴー大学、オックスフォード大学で学び、1751年グラスゴー大学教授に就任、1784年には総長に選ばれている。

 フランスで家庭教師をしていた彼は、1767年カーコルディの母の実家に戻り、1776年までこの地に滞在した。有名な「国富論」が執筆されたのもこの地である。同書は経済学の起源となった著作で、(1)分業、(2)利己心、(3)自由放任を特徴とする。スミスが説いた理想の経済人とは、自らが最も優位性を持つただひとつの物の生産に特化する人間であり、分業によって生産力が発展し、発展を保障するのは各人の利己心に基づく自由競争だとする自由放任政策を提言した。そしてこの考えは国家テキスト ボックス: 写真8 アダム・スミス旧邸。間にも適用しうるもので、各国は絶対優位性を持つ分野に特化するべきだとして、スミスは保護貿易を批判し自由貿易を主張した。また貨幣こそ富と考える重商主義を批判し、労働こそ富の源泉であり、労働の生産力向上が国富の増大につながると説いた。

 「国富論」でスミスは市場と市場での競争に着目し、古典派経済学の基礎を確立した。「神の見えざる手」という言葉はたった一度しか使われていないにも関わらず、非常に有名な言葉となっている。この言葉の意味するところは、利己的に行動する各個人が市場において自由競争を行えば、自然と需要と供給は収束に向かい、経済的均衡が実現され、社会的安定がもたらされるというものであり、極めて性善説的なものであった。

 

 カーコルディが生んだもう一人の偉人は、サンドフォード・フレミング(1827−1915)である。High St.とGlasswork St.の角に、彼の出生地の碑(写真9)がある。フレミングはカーコルディに生まれ、1845年カナダに移民し、鉄道技師として働く。大陸横断鉄道が開通し、人々がかつてないほど高速で長距離を移動するようになると、時刻表を作成する際に各都市の時差が問題となった。彼はカナダのみならず、世界を24のタイムゾーンに分割し、各ゾーンの時差を1時間ずつテキスト ボックス: 写真9 サンドフォード・フレミング出生地碑。とする現行の「国際標準時」を1878年に発表し、1884年のワシントン会議で各国に承認された。

 

 

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