[1] インディアンごっこを愛した少年 〜ヘイスティングズ〜
(ふれいざー2004年7月号掲載)
イギリスで最初に訪れた街ヘイスティングズは、小さな港町だった。ダウンタウンは新しく、ヘイスティングズ古城とは対照的である(写真1)。なおこの城は有名なヘイスティングズの古戦場ではなく、イングランドに上陸したノルマン軍が高台に砦を築き、その後要塞化したものである。
だが私がこの街を訪れたのは、城を見るためではない。謎の生涯を生きたカナダの作家グレイ・アウルの足跡を辿るためである。
自然との共存を訴えたインディアン作家グレイ・アウルは、その死後、実はインディアンではなく、ヘイスティングズ生まれの純粋な白人アーチー・ベレイニーであったことが暴露され、大センセーションを巻き起こした。
彼の父ジョージ・ベレイニーは、裕福な家の後取りだったが、しきたりの厳しい家を飛び出しフロリダに渡る。ところが妻が病死してしまい、そのうえ妻の13歳の妹キャサリンを孕ませてしまう。ヘイスティングズに引き揚げたジョージとキャサリンがアーチーを産んだのが、セントジェームズ・ロードのこの地である(写真2)。もちろんこの建物は当時のものではない。アーチーが生まれたのは、十九世紀初頭に建てられた召使いのいる豪邸であった。
だがジョージはしきたりの厳しい家の暮らしに堪えられず、アルコール中毒から精神を病み、メキシコに追放される。「卑しい血筋」のキャサリンも追放され、アーチーは二人の叔母に育てられることになったのである。
彼が7歳のときから住んだ家が、セントメリーズ・テラスのこの家である(写真3)。この家は高台にあり、そこから海が見える。アーチーは海の向こうのカナダに思いを馳せていたに違いない。北には、彼が幼いころ遊んだセントヘレンの森がある。父の愛も母の愛も知らず、叔母たちに厳しく躾られた彼は、自然のままに暮らすインディアンに憧れ、この森でインディアンごっこに親しんだ。高校を卒業すると彼は、父と同じように家を飛び出してカナダに渡り、インディアンとともに暮らし、インディアンとしての虚構の人生を生きたのである。
彼の家からそう遠くないところに、彼の母校ウイリアム・パーカースクールはあった。その校庭には、グレイ・アウル協会がアーチーを記念して彼の死後に植えたカナディアン・メープルの樹が残っている(写真4)。彼はその死後にしてようやく、彼自身になり得たのだろうか。