[10] ルーマニアの救世主 〜ハンプトン・ヒル〜
(ふれいざー2004年10月号掲載)
ロンドン郊外フルウェル駅で電車を降りると、そこには住宅のほかは何もなく、駅舎にはベンチもない。私はハンプトン・ヒルの聖ジェームズ教会に向かう。そこにはかつて「ルーマニアの救世主」と呼ばれた男の墓があった。
現在ある新しい石碑(写真18)にはこう刻まれている。
ジョゼフ=ホワイトサイド・ボイル中佐を記念して
1867−1923
遺体はルーマニアのマリア王妃から贈られた十字架とともに
この地からカナダのオンタリオ州ウッドストックに移された
ジョゼフ・ボイルはトロントに生まれ、ユーコンのゴールドラッシュで一攫千金を成し遂げた。第一次大戦中に武器製造会社を興し、無償で武器を提供した見返りとして陸軍名誉中佐に任じられ、ルーマニアを救援する任務を与えられる。彼は連合国から食糧援助を取りつけ、ルーマニア捕虜を解放し、奪われた財宝を奪還して「ルーマニアの救世主」と称えられる。そしてヤシー公の称号を得た彼は、イギリス王室から嫁いだマリア王妃と禁断の恋に落ちるのである。
だが王妃とのスキャンダルを暴かれた彼は、王室から出入りを禁じられ、軍務も解かれる。家族を捨て、会社も倒産し、全てを失った彼を鉄道事故が襲う。半身不随となり、ルーマニアを去ってハンプトン・ヒルで療養生活を送るかつての億万長者は、貧しく看とる家族もなく、一人のヘルパーに看とられ生涯を閉じた。
遺体は聖ジェームズ教会に葬られ、王妃の命により十字架型の墓碑が建てられた。そこには彼が愛したロバート・サービスの詩から、王妃が選んだ一節が刻まれている。
“A man
with the heart of a Viking,
And the
simple faith of a child.”
王妃はイギリスを訪問するたびに墓を訪れ、ユリの花を捧げて行った。彼女はボイルの娘に対し、墓をルーマニアに移しいつもユリの花で飾られているようにしたいと語ったが、マリアと不仲で王位継承権を剥奪されたカロルがクーデターで王位に就いたため果たせず、「ルーマニアの救世主」と呼ばれた男の墓は雑草に覆われ荒れ果てていた(写真19)。だが近年、彼の墓の荒廃を惜しむ人々によって「ジョゼフ・ボイル帰還委員会」が結成され、墓は彼の故郷ウッドストックに移されたのである(写真20)。