[3] インディアンの叫び─自分らしく生きるために

   Grey Owl (Archibald Stansfeld Belany)(1888−1938)

 

 インディアンとして自然保護を訴えた作家グレイ・アウルは、生前自らを、メキシコのエルモシーヨでイギリス人の父ジョージ・マクニールと、アパッチ族インディアンの母キャサリン・コーチーズとの間に生まれたメティス(混血)であると語っていた。

 1906年カナダに渡り、オンタリオ北部で猟師として暮らしていたが、常にナイフを片手に生活していた彼はいつしか警察に追われる身となった。彼はインディアンの妻アナハレオ(ガートルード)とともに3千2百キロにも及ぶ逃避行を続けていたが、ある日自分の仕掛けた罠にかかって死んでいる母ビーバーのそばで泣いている2匹の赤ちゃんビーバーを見て、狩りから足を洗う決心をする。そしてグレイ・アウル夫妻は、2匹のビーバーを引き取り、マギンニスとマギンティーと名づけ、ケベック州バーチレテキスト ボックス: グレイ・アウルとジェリー・ロール。イクにビーバーの楽園を建設し、大切に育てた。2匹はアナハレオを母親と思い、彼女がそばにいないとすぐに泣くので、彼女はビーバーたちと毎晩沿い寝するのだった。

 狩りをやめたグレイ・アウルは、村人たちの差し入れでかろうじて楽園を運営していた。そのころから彼はイギリスの自然保護雑誌「カントリー・ライフ」に論説を書き始めるようになったが、それが国立自然公園管理人の目に留まり、自然公園にビーバーの楽園を建設する仕事が持ち込まれた。彼はライディング山国立公園(マニトバ州)とプリンスアルバート国立公園(サスカチュワン州)に楽園を創り、そこで公園監視員として丸太小屋で暮らしながら、自分とビーバーのジェリー・ロールが出演する記録映画「ビーバー人民」を制作する。また執筆活動も盛んに行い、「最後の辺境の人々」、自伝「野生への巡礼者」、そして自筆イラスト付きの「サージョとビーバーたちの冒険」を次々と発表する。「サージョとビーバーたちの冒険」は彼の娘ドーンのために書かれた作品で、インディアンの少女がはぐれた2匹の子ビーバーを探して旅する物語である。マギンニスとマギンティーが、チラウィーとチテキスト ボックス: アナハレオ(19歳ころ)。カニーの名で登場するこの作品は欧米で好評を博し、彼の作家としての名声が確立された。

 そこで、イギリスの出版業者で後に無二の親友となったロバット・ディクソンは、本の宣伝を兼ねたグレイ・アウルのイギリス講演旅行を企画した。1935年の最初の旅行では、4ヶ月の滞在で200回もの講演を行ったが、長い髪を垂らし、フリンジのついた革の上着を着て、モカシンを履いた「本物のインディアン」の話に人々は強く惹きつけられた。長く続く不況と、迫り来る戦争の影。ヒトラーは公然とヨーロッパ諸国を恫喝し、ユダヤ人を迫害していた。そんな時代に人々は、動物たちへのやさしい眼差しと、自然のままに生きるインディアンの生き方に、心癒される思いがしたのである。

 彼はこの旅行で大きな収益を上げることができたが、代償もまた大きかった。都会の喧騒が嫌いな彼でも、いつもマスコミにつきまとわれなければならなかった。またBBCの番組に出演するはずだったのを、狐狩りを好む上流階級に対する配慮から、彼の脚本の一部がカットされることになったため、出演をキャンセルしてしまう。彼は連日酒を浴びるように飲み、何度か泥酔して講演に臨んだこともあった。そしてある日カメラマンから、騎馬警察の馬の鼻をなでるポーズをとるよう頼まれたとき、彼の怒りは爆発し、とうとうカナダに帰ってしまう。

 バカな白人どものためにどうして苦労しなきゃならないんだ・・・・・・傷心で家路についた彼は、体調に異変をきたしていた。しばしば発作を起こすのである。彼は家で妻に当たりちらすようになり、アナハレオはついに娘を連れて家を出て行ってしまった。

 その後彼は「空っぽ小屋の物語」「木」などの著作を次々と発表し、インデテキスト ボックス: 「空っぽ小屋の物語」のモデルになったアジャワーン湖畔のログハウス(プリンスアルバート国立公園)。ィアン系カナダ人イボンヌ・ペリエ(シルバー・ムーン)と再婚する。1937年には2度目のイギリス講演旅行に出発したが、その目玉は、彼の本を読んで熱烈なファンになったメアリー王妃の招待によるバッキンガム宮殿訪問だった。

 

 その日、国王ジョージ六世一家が待つ応接室の扉が召使いによって開けられると、民族衣装に身を包んだグレイ・アウルが現われた。彼は右手を挙げ、

「ハウ、コラ。・・・オジブワ語で『兄弟よ、平安とともに参りました』という意味です」。

と挨拶すると、国王の顔から笑みがこぼれた。このように、国王を部屋で待たせて客人が訪ねて行くのは前例がなく、当初宮廷側は部屋で国王一家を待つように頼んだが、彼はどうしても自分が国王を訪ねるのでなければいやだと言ったため、宮廷側が折れたのである。

 国王一家を前に、彼は熟練した俳優のように熱っぽく語った。約束の時間が過ぎて帰ろうとすると、エリザベス王女が飛び上がって「ねえ、もっと続けて!」と叫ぶので、彼は予定より10分長く話さなければならなかった。そして話を終えると、毛皮の手袋をした手で国王の肩を叩きながら、「兄弟よ、ご機嫌よう」と言って去って行った。

 

 3ヶ月の滞在で140回もの講演をこなした彼は、記者に「もう1ヶ月も講演を続けたら参ってしまうだろう」と語ったが、その1ヶ月後に過労のためプリンスアルバートの病院で急死した。人々は翌日の新聞で彼の死を知って驚いた。だが新聞のセンセーショナルな見出し“Grey Owl had Cockney accent and four wives!(グレイ・アウルにはロンドン訛りと4人の妻があった!)”を見てもっと驚いたのだった。そう、彼はインディアンなどではなく、純粋なイギリス人アーチボルド・ベレイニーだったのである。

 グレイ・アウルの説いた「命あるものとの共存」は、近代文明を批判していた。それゆえある人々は彼に敵意を抱き、彼の素性が明らかテキスト ボックス: 左からグレイ・アウル、娘ドーン、前妻アナハレオの墓(プリンスアルバート国立公園)。になるや、マスコミが暴露合戦を始めた。逮捕状が出ていたこと、多彩な異性関係、少女性愛、度を越した飲酒…インディアンは伝統的に酒を知らなかったし、インディアンは嘘をつかないと、本気で信じられていた時代のことである。ある新聞はこう書きたてた。“WhooHeeWhoo?”(ふくろうの鳴き真似で「彼は何者?」)彼の言葉に良心の呵責を覚えていた人々は、急速に虚しさを感じた。やがて戦争が始まった。人々は思った。みんなだまされていた。理想郷などどこにもなかったのだ。全てはまやかしだったのか?

出版社はいっせいに、彼の本を回収し始めた。長年の友人でもあったディクソンだけは彼を信じ、彼の遺族を名乗る人々に会うためヘイスティングズを訪れた。そこで彼が知らされたのは、衝撃の事実だった。

 

*    *    *    *    *    *    *

 

 イギリスのヘイスティングズで屈指の資産家であるベレイニー家の若き当主、ジョージ=ファーメイジ・ベレイニーには妻がいたが、エリザベス・コックスを(はら)ませ、アメリカに駆け落ちしたことは街の一大ゴシップとなった。自然や動物が好きだった彼は、エリザベスとその妹キャサリンとともにフロリダに渡り、果樹園の経営を始める。ところが農業経験のない彼は、仕事を怠けて趣味のハンティングと剥製作りに(ふけ)り、農場を荒廃させてしまう。そのうえエリザベスが剥製で使用する砒素の中毒で急死してしまい、ジョージはキャサリンとともにヘイスティングズに引き揚げるが、このとき13歳の彼女は胎内にアーチボルドを宿していた。

 だが野生生活の好きなジョージに、しきたりの厳しいベレイニテキスト ボックス: グレイ・アウル生家の記念碑。ー家の生活は耐えられなかった。酒と女に溺れ、アルコール中毒から精神に異常をきたした彼はベレイニー家の当主失格の烙印を押され、家の体面を保つため妹のキャリーとエイダによって勘当され、メキシコに追放された。「卑しい血筋」のキャサリンも、生活費を送ることを条件に追放され、誕生日を含む年に二・三回、キャリーとエイダが許可したときだけ息子に面会してもよいことになり、キャリーとエイダがアーチボルドを引き取って、次の当主としてふさわしい教育をすることとなった。なおロバット・ディクソンは、グレイ・アウルの伝記を書くためキャリーとエイダに面会したときの印象を、生涯独身を通しベレイニー家で暮らした2人は、家柄にしか興味がなく、男性経験もなかったのではないかと述べている。

 叔母のキャリーとエイダは、よその子の「悪影響」を避けるため、10歳までアーチボルドを学校に入れず、家で教育した。2人は文字通りフォークの上げ下ろしにまで干渉したが、悪いことに彼は左利きだったため、左手で物をつかんだとテキスト ボックス: キャリー(左)とエイダ(右)。きは叔母たちの鞭が容赦なく飛んだ。父親の話はタブーであり、彼は父の愛も母の愛も知らず、空想と動物を飼うことだけが心の慰めであった。

 久しぶりに母が訪ねて来た日に、彼はきいた。

「ママ、どうして誰もパパの話をしないの? パパはどこにいるの?」

母は絶句した。だが覚悟を決めて、重い口を開いた。

「アーチー、これから話すことは誰にも内緒よ。約束できる?」

「うん、誓うよ」。

アーチーは右手を挙げてそう言った。

「・・・パパはね、カナダでインディアンと暮らしているの。パパはとっても強くて、勇気があって、動物たちとお友だちなのよ」。

母は想像をふくらませていった。そして母が想像をふくらませていくたびに、アーチーの目も輝いていった。

テキスト ボックス: 13歳のアーチボルド・ベレイニー。「ママ、ぼくも大きくなったらカナダに行って、インディアンといっしょに暮らすんだ!」

 それからの彼は、クラスメートたちがラグビーやクリケットを楽しんでいるのを尻目に、一人でインディアンごっこに明け暮れ変人扱いされていた。成績は良かったが、いつもポケットに動物を入れて登校し、ふくろうの鳴きまねが得意だった。このころアーチーの交際相手にふさわしいとして、叔母たちが近所に住む資産家の娘アイビー・ホームズと遊ばせていたが、彼はアイビーに、大きくなったらインディアンになる話ばかりしていた。

「アイビー、ぼくは大きくなったら、カナダに行くんだ。カナダはね、インディアンが自然のままに暮らしていて、めんどうなしきたりなんかないんだよ。」

「まあ、すてきねアーチー。そのときは、わたしもいっしょに連れてってね。約束よ。」

 

やがてアーチーは成長し、高校卒業も間近になった。そして彼はついに、叔母たちを前に決意を打ち明ける。

「叔母さんたちには、今日まで面倒を見ていただき、感謝しています。ぼくは卒業したら、カナダに行きます」。

キャリーとエイダは仰天した。

「まあ、キャリー、聞きましたか。私たちはいったい何のためにこの子を育ててきたのでしょう」。

「いったい誰に似たのかしら。蛙の子は蛙だわ・・・」。

 彼は叔母たちの反対を押し切って1906年カナダへ渡り、オンタリオ北部のベア島に住んだ。そこで彼はオジブワ族とともに暮らし、彼らの言葉を話し、彼らの様式に従った。焼けた肌、肩まで垂らした長い髪、獲物を狙う鋭い目・・・どこから見ても、彼はインディアンそのものだった。1910年にはオジブワ族の娘エンジェル(アニシナベ)と結婚し、娘アグネスとフローラを授かる。しかし彼は家庭に腰を落ち着けることはなく、マリー・ジラールとの間にも息子をもうけている。

 ところが第一次大戦が始まると、イギリス国籍の彼は徴兵され、あこがれのインディアン生活にも終止符が打たれた。1916年にフランス戦線に送られた彼は、足を負傷してイギリスの病院に収容されるが、知らせを聞いて駆けつけた叔母たちと、そこで再び面会することとなった。

「まあ、アーチー、こんなに変わり果てて。事務員があなたのことをインディアンだと言ってたわよ」。

とキャリーが言うと、エイダは、

「本当にアーチーなのね。さあ、いっしょに家に帰りましょう」。

 だがヘイスティングズでの生活は、彼にとっては退屈この上なかった。彼は一日中何もせず、物思いにふけっていたが、叔母たちはそれを毒ガスで脳をやられたせいだと言っていた。

 幼なじみのアイビーが訪ねて来たのは、そんなときのことだった。思えばクラスメートたちが自分を変人扱いする中、彼女だけが将来カナダに行く夢に耳を傾けてくれたのだ。あのころよりもずっときれいになったアイビーが見舞いに来てくれることだけが、彼の唯一の楽しみだった。彼はある日、アイビーにそっと語りかけた。

「アイビー、ぼくの具合が良くなったら、2人でカナダに行こうよ」。

テキスト ボックス: 1999年の映画「グレイ・アウル」。「・・・ええ、いいわ」。

2人はその年結婚した。

 アーチーの容態が良くなると、アイビーは言った。

「そろそろ仕事を探しましょう。でもその前に、その長い髪も切らなきゃ」。

彼は驚いて言った。

「仕事だって? ぼくたちはいっしょにカナダに行くんだろう?」

「まあ、あなた、私はてっきり旅行に行くものとばかり・・・・」。

「なんてこった!」

そう叫ぶなり、彼は結婚指輪を投げ捨て、家を出て行った。そして二度と帰らなかった。

テキスト ボックス: グレイ・アウル協会により、アーチーの母校に植えられたカエデの木。彼はその死後にしてようやく彼自身になり得たのだろうか(ウイリアム・パーカースクール、ヘイスティングズ)。

 オンタリオ北部へ戻った彼は、オジブワ族の養子となった。祭の夜、養父はアーチーを皆の前に立たせて言った。

「お前はもはやアーチーではない。グレイ・アウルだ」。

 こうして彼の新しい人生が始まったのである。生涯を虚構に生きた彼は、誰よりも自分らしい人生を生きたのだった。

 

 

 

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