カナダ緑の党Green Party of Canada)

 


【歴代党首】
初 代 トレバー・ハンコック(1983〜1984)
第2代 シーモア・トリーガー(1984〜1988)
第3代 キャサリン・コレット(1988〜1990)
第4代 クリス・リー(1990〜1996)
第5代 ウェンディ・プリースニッツ(1996〜1997)
第6代 ジョーン・ラッソー(1997〜2001)
第7代 ジム・ハリス(2003〜2006)
第8代 エリザベス・メイ(2006〜 )

 

 (1) 草創期
 カナダ緑の党は、世界の他の緑の党と提携関係になく、独立している。
 1980年総選挙の1か月前、無所属の11人の候補者(主に東部選挙区)が共通のマニフェストと「スモール・イズ・ビューティフル」のフレーズを掲げ、「スモール・パーティ」を称した。このカナダ初の環境政党の中には緑の党現党首エリザベス・メイがいた。
 カナダ緑の党が結成されたのは、1983年オタワのカールトン大学で開催された会議においてである。1984年総選挙に60人の候補者を立てて挑んだが、全員落選した。そして緑の党のケベック選挙区候補の多くは、このころ盛んになったケテキスト ボックス: エリザベス・メイ党首。ベック独立運動とそれに続く憲法問題が原因で、ケベック分離主義のケベック連合に参加するために離党した。
 1997年の党首選で52%もの支持を受けて当選したジョーン・ラッソー党首は、同年の総選挙において初めて全国を遊説し、英仏2言語によるマニフェストを掲げた。それまでの選挙は州ごとの、場合によっては選挙区ごとの選挙運動でしかなく、党としての連帯を欠いていたのである。
 2000年、セント・ジョンズの補欠選挙において、候補者がアザラシ漁を支持すると公言したため公認しなかった件で、連邦緑の党はニューファンドランド&ラブラドル州の「テラ・ノバ緑の党」と摩擦を起こし、この年の総選挙では111人の候補者を立てたが、ニューファンドランド&ラブラドル州では1人も立てなかった。党は現実と理念のギャップに苦しみ、多くの支持者が去っていき2001年から2003年まで、連邦緑の党は活動停止状態となった。

 (2) 全国政党への躍進
 「エコ資本主義」を自称するジム・ハリス党首の下で臨んだ2004年総選挙において、緑の党は飛躍的成長を遂げる。308人の候補者を全選挙区に立て、得票率は4.3%に達し、ついに政党助成金交付の条件である2%を超えたのである。だがこの選挙においてハリス党首は、CTVのテレビ討論に議員がいないという理由で招待されなかった。
 2006年総選挙でも緑の党の勢いは衰えず、ハリス党首は「緑に投票することは左派票を分散させ保守党を有利にする」という批判に耳を貸さず、再び全ての選挙区に候補を立てて得票率4.5%を記録したが、悲願の議席獲得には至らなかった。選挙後には、ハリス党首が選挙資金の使途を選挙管理委員会に報告しなかったという非難が噴出し、ハリスは次の党首選の立候補を断念した。

 (3) 主要政党を目指して
 2006年4月に開催された党首選で、エイザベス・メイは65%もの支持を受け党首に就任した。彼女はその年11月、オンタリオ州のロンドン・ノース・センター選挙区での補欠選挙に立候補し、2位で落選したが得票率26%を記録し世間を驚かせた。
 2008年8月、ブリティッシュコロンビア州の無所属議員ブレア・ウィルソンが移籍し、緑の党は初めて下院議員を擁することになった。最初の地方議員は、199911月にビクトリア市会議員に当選したアート・バンデン=バーグとロスリン・カッスルである。またブリティッシュコロンビア州ウィスラーのケン・メレームド市長は、緑の党党員である。
 2005年、ハリス党首の右寄り路線に反発した左派グループが離党し、平和環境党を結成した。同党は労働・環境問題などに特化した左派政党だったが、政党として登録されず、2006年総選挙で候補者を立てられなかった。
テキスト ボックス: 環境問題から貧困問題にシフトしたメイ党首。

 

 

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