[17] カナダ第2代首相 〜ダンケルド〜

 

 

 

 ケネス一世がスクーンに遷都した後の850年、スコットランドにキリスト教をもたらした聖コロンバの遺骨もアイオナ島からダンケルド大聖堂(写真34)に移され、この地がコロンバ派の本山となった。ダンケルドとはゲール語で「神の友の座」という意味である。ダンケルドは古い歴史を持つ宗教都市だが、1689年にジャコバイトが戦ったダンケルドの戦いで、町は3件を除いて全て焼失し、現在の町はその後復興されたものだ。

 ダンケルド&バーナム駅は、テイ川左岸のバーナムにある。ダンケルド橋を渡った対岸がダンケルドである。橋からはバーナムの森(写真35)が見える。シェークスピアの戯曲「マクベス」で、マルコム・カンモアテキスト ボックス: 写真34 ダンケルド大聖堂。軍が迷彩として枝を掲げながら進軍するのを見たマクベスが、魔女の「バーナムの森が動かぬ限りマクベスは滅びぬ」という予言を思い出し、錯乱して自滅するという、かの森である。なおマクベスは戯曲で悪人のように描かれているが、実際には、短期政権の続いたスコットランドには珍しく17年の長期政権を維持し、ローマ巡礼で国元を留守にしても反乱が起きなかったのは、彼の徳を示すものといえよう。実はシェークスピアのパトロンだったエリザベス一世が崩御した後、バンクォーの子孫であるスチュアート家が王位を継承したため、バンクォーを善、マクベスを悪として描く必要があったのである。

 ダンケルドは小さな町で、Atholl St.とHigh St.の角に商店がいくつテキスト ボックス: 写真35 バーナムの森。か並んでいる。道行く人々はみな白人で、私だけとても目立っている。この駅で降りると次の電車は2時間後なので、休憩を兼ねてインド料理店に入った。中にはインド人のウェイターがいて、こんな町にもアジア人が住んでいることに驚かされる。彼は同じアジア人の私に興味を示したようで、しきりに話しかけてきた。「日本で鉄道事故があったんだってね?」

 この町でただ1件しかない銀行で両替し、ダンケルド大聖堂に向かう。途中Cathedral St.9番地に、カナダ第2代首相アレクサンダー・マッケンジー(1822−1892)旧宅(写真36・37)があった。

 マッケンジーはダンケルド郊外のロギエレイトに生まれ、1835年ダンケルドのこの家に移り住んだ。14歳で父が死去したため、学業を中退して石工となる。1842年オンタリオ州キングストンに移民し、その後ランブトンに移り土建屋を営む。1852年新聞ランブトン・シールドの編集者となり、新聞社グローブ(現在のグローブ&メイル)の社主で改革派(後の自由党)リーダーのジョージ・ブラウンと知己を得る。1861年改革派として出馬しランブトン郡から植民地議員に当選、1867年にはカナダ自治領最初の選挙に当選し下院議員となる。

テキスト ボックス: 写真36 アレクサンダー・マッケンジー邸跡。 リーダーのブラウンはカナダ連邦結成に反対で、保守党との大連立を解消した。自由党は最初の連邦総選挙で敗北し、ブラウンも落選し議席を失う。1873年パシフィック・スキャンダルによりマクドナルド内閣が総辞職すると、総督ダフェリン卿は自由党の誰かに組閣を命じようと考えたが、ブラウンが落選していたため、自由党には党首が公的に存在しなかった。組閣の大命は4人目のマッケンジーがようやく受諾し、彼は第2代首相となる。彼はその年連邦自由党の党首に就任したが、周囲は彼をブラウンの傀儡と見なしていた。少数与党政権に甘んじていたマッケンジーは、翌年議会を解散して総選挙に勝利し、国民の信任を得た。

テキスト ボックス: 写真37 アレクサンダー・マッケンジー邸跡。 総督は、石工を首相にすることに不安を覚えると異例の声明を発表したが、後には彼の誠実な人柄を信頼するようになった。マッケンジー首相は、無記名投票を含む選挙法改正、最高裁判所の創設、下院議事録の記録、王立軍事大学の設立などの業績を残したが、その任期中に不況に見舞われた。大陸横断鉄道の建設には莫大な費用がかかり、不況下で鉄道建設を続けることに彼は反対したが、ブリティッシュコロンビア州は鉄道が敷設されないなら連邦を離脱すると表明し、彼は立ち往生することになる。これを見かねた総督が自らブリティッシュコロンビア州を訪問したが、マッケンジーは自分の頭ごなしに事が進むことに腹を立てた。その後も景気は回復せず、1878年自由党は総選挙で敗北し、マッケンジーは政権を失う。1880年には党首の座をエドワード・ブレイクに奪われ、彼は過去の人となった。

 生粋の職人だった彼は、政府からナイトの地位を贈ると打診されたが、3度拒否した。首相在任中にフォート・ヘンリーを訪ねたときも、城壁の厚さを知っているかと兵士に尋ね「知らない」と言われると、「5フィート10インチだ、自分が建てたから知っている」と答えている。

 

 

 

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