[7] 学生街に眠る生首 〜ケンブリッジ〜

 

 

 

イギリス旅行の最終日は、ケンブリッジへの旅である。だがこの学生街への旅の目的は、ノーベル賞受賞世界一の大学を見るためでも、ケム川に架かる橋々を見るためでもない。独裁者クロムウェルの生首の、数奇な運命を辿る旅である。

クロムウェルは1658年に病没し、ウエストミンスター寺院に葬られた。だが後を継いだ息子のリチャードは、軍部と対立し護国卿の辞任を余儀なくされ、チャールズ一世の子チャールズ二世による王政復古が実現した。

彼の王位就任については、共和制時代の報復はしないという条件がついていた。確かに彼は国民に報復はしなかった。だが死んだクロムウェルに対しては別だった。彼の遺体は1661年墓から引きずり出され、チャールズ一世が処刑された同じ日にタイバーンの刑場で絞首台に吊るされた後、首を刎ねられ、その首はウエストミンスター・ホールに晒された。首は20年以上も晒されロンドンの名物となったが、その後行方がわからなくなった。

20世紀になって、キャノン・ウィルキンソンというテキスト ボックス: 写真28 ウィルキンソン所有のミイラ。人物が、クロムウェルの頭を所有していると名のり出た。その頭(写真28)は髪と眉が残っており、X線撮影すると、首にはウエストミンスター・ホールに晒されたときに突き刺されたと思われる木の残骸があり、鑑定の結果本物だと判定された。

ウィルキンソンの死後、クロムウェルの母校シドニー・サセックスカレッジが彼の頭を受け入れ、1960年、およそ300年ぶりに構内の秘密の場所に葬り、アンテ・チャペルに記念のプレート(写真29)を掲げた。詳細な場所を表示すると王党派がいつ再び彼の頭を掘テキスト ボックス: 写真29 シドニー・サセックスカレッジのプレート。り返すとも限らないので、プレートには「この付近に葬られた」と刻まれている。これが国王を処刑し、議会を弾圧し、アイルランドとスコットランドを蹂躪した独裁者の末路であった。

 

 

 

 

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