[2] ノルマン人の征服 〜バトル〜

(ふれいざー2004年8月号掲載)

 

 

 ヘイスティングズから4つ北の駅がバトルで、ここがヘイスティングズの戦いがあったバトル村である。

 エドワード証誓王の死後、妃の弟ハロルド二世がイングランドの王位に就いた。だが彼の即位に異議を唱える者が二人いた。一人はノルウェー王ハーラル三世(苛烈王)、もう一人はノルマンディ公ウイリアムである。二人とも自分に王位継承が約束されていたと主張し、またウイリアムの妻はアングロ・サクソン王家の血を引き、かつエドワードの母はノルマン公家の出であった。

 1066年ノルウェー軍がヨークに侵入したが、ハロルドはスタンフォード橋の戦いでこれを撃破した。だがちょうどそのとき、ノルマン軍がイングランド南部に無血上陸し、ヘイスティングズに砦を築いていたのである。ハロルドは軍を取って返し、密かに森林地帯を抜け、センラックの丘(写テキスト ボックス: 写真5 イングランド軍の目線に合わせて、センラックの丘から古戦場を見下ろす。真5)に陣取った。今日と異なり、丘の両側は沼と川になっていたため、ここを通らねばロンドンに辿りつけないという交通の要衝であった。ノルマン軍は7500、騎兵が主力である。対するイングランド軍は7500と数の上では互角だが、歩兵だけでしかも疲労していた。

 ノルマン軍がまず弓で攻撃すると、イングランド軍は弓兵をほとんど持っていなかったため一方的に損害を受けてしまう。矢が尽きて弓兵が退くと白兵戦が始まり、ノルマン軍は騎兵を繰り出すが、イングランド軍の重装歩兵は密集隊形で「盾の壁」を作り、つけ込む隙を与えない。ウイリアムの馬が矢を受けて倒れると、「ウイリアム戦死」の情報が流れノルマン軍は混乱に陥るが、ウイリアムは兜を開けて顔を出し、自分が生きていることを全軍に示して持ちこたえた。

 イングランド軍を有利な丘の上から誘い出すため、ノルマン軍がわざと負けたふりをして退却すると、ハロルドが「盾の壁から出てはならぬ」と厳命したにもかかわらず農民兵が深追いしてしまい、ノルマン軍に逆に包囲され各個に撃破される。ハロルドは右目に矢を受けて戦死し、ウイリアムがイングランド王に即位した。ウイリアムの宮廷ではノルマンなまりのフランス語が使用され、庶民はイングランド語を話し、時代とともに融合して英語が形成されていくのである。

 ハロルドが布陣した丘には後に、修道院バトル・アビーが建てられた(写真6)。

テキスト ボックス: 写真6 ハロルド戦死の地。奥にあるのはバトル・アビーの廃墟。

 

 

 

 

 

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