[16] (さい)()(せん)()(しゃ)

    George Lawrence Price(1892−1918)

 

 

 ジョージ・プライスは1892(ねん)、ノバスコシア(しゅう)キングス(ぐん)に生まれ、サスカチュワン(しゅう)ムースジョーで(のう)(ぎょう)(いとな)んでいた。1917(ねん)(ちょう)(へい)され、カナダ(ぐん)(だい)()(だん)(だい)(りょ)(だん)(だい)28ノースウェスト大隊(だいたい)配属(はいぞく)された。
 1918(ねん)11(がつ)(だい)28大隊(だいたい)はベルギーのモンスを解放(かいほう)し、アーブレに(しん)(ちゅう)した。(まち)人々(ひとびと)は、この解放(かいほう)(しゃ)(かん)(げい)して(しゅく)(えん)(ひら)こうとした。だが真面目(まじめ)一徹(いってつ)のアーサー・グッドマーフィ(たい)(ちょう)はこれを固辞(こじ)し、1918(ねん)11(がつ)11(にち)(あさ)、いつもより(はや)()きして、()(たい)をさらに(ひがし)に進めた。(かれ)はその前日(ぜんじつ)「できるだけ(おお)くの()(いき)(せん)(りょう)するため、できるだけ(すみ)やかに(しん)(ぐん)すること」と(めい)じられていたからである。

テキスト ボックス: ジョージ・プライス。

 その()(あさ)()、コンピエーニュの()(しゃ)(なか)で、連合(れんごう)(こく)(ぐん)とドイツ(ぐん)(だい)(ひょう)(きゅう)(せん)(きょう)(てい)署名(しょめい)した。そこにはこう(しる)されていた。

(すべ)ての戦闘(せんとう)は、6()(かん)終了(しゅうりょう)する」。
 カナダ(ぐん)()(れい)()はこの()らせを6()(はん)()き、すぐに4つの()(だん)下知(げち)した。(じょう)(ほう)はそれから12の(りょ)(だん)に、さらに48の大隊(だいたい)(でん)(たつ)された。だがそれより(した)にはおびただしい(かず)(ちゅう)(たい)(しょう)(たい)があり、それぞれ(かく)()(たたか)っていたから、(すべ)ての()(たい)位置(いち)(せい)(かく)()ることは困難(こんなん)であり、(そく)()(じょう)(ほう)(でん)(たつ)(むずか)しかった。
 (だい)(りょ)(だん)(もっと)(てき)()(ふか)(しん)(ぐん)していたのは、(だい)28大隊(だいたい)であった。伝令(でんれい)(しょう)(こう)(うま)()ばし、アーブレに(きゅう)(せん)(きょう)(てい)締結(ていけつ)()らせに()たのは10()(はん)ころだったが、グッドマーフィ(たい)(ちょう)はすでに()(たい)をサントル(うん)()(すす)めていた。

 グッドマーフィは、()(たい)をサントル(うん)()()(まえ)(てい)()させた。そこには対岸(たいがん)(わた)るための小さな(はし)があったが、不思議(ふしぎ)なことに、この(じゅう)(よう)拠点(きょてん)(まも)っているはずのドイツ(ぐん)姿(すがた)()えなかった。だが(はし)(わた)った対岸(たいがん)に、(はし)(わた)(もの)牽制(けんせい)するかのような(みん)()が3(けん)あり、よく()ると(かべ)(じゅう)(がん)のような(あな)があった。
 「(へん)ですね。あの(いえ)(なに)(あや)しい。()()ましょうか。」
 そう()ったのは、ジョージ・プライス(じょう)(とう)(へい)だった。恋人(こいびと)写真(しゃしん)をいつも(はだ)()(はな)さず()(ある)いている(おとこ)だった。グッドマーフィは、プライスとほか3(にん)()れて、対岸(たいがん)偵察(ていさつ)()くことにした。(おも)武器(ぶき)()って()きたくなかったので、5(にん)はピストルだけを携行(けいこう)した。
 (はし)をすばやく(わた)対岸(たいがん)のビル=シュル=エーヌ(むら)()くと、プライスは(えい)()のギャングのようにドアを()って、最初(さいしょ)(みん)()()()った。だがそこには、スティブナール()(じゅう)(にん)がいただけだった。ドイツ(へい)はさっきまで(いえ)の2(かい)()()っていたが、(だい)28大隊(だいたい)(せっ)(きん)()て、(あわ)てて裏口(うらぐち)から(だっ)(しゅつ)したばかりだったのである。プライスは(つぎ)に、(となり)のルノワール(てい)にも()()ったが、そこにもドイツ(へい)姿(すがた)はなかった。そこでプライスがルノワール(てい)を出ると、(みん)()物陰(ものかげ)からドイツ(へい)(はし)()けて()(かん)(じゅう)連射(れんしゃ)していた。どうやらドイツ(ぐん)(しょう)人数(にんずう)でこの()(まも)っているらしく、(だい)28大隊(だいたい)渡河(とか)させたら殲滅(せんめつ)されるため、(ひっ)()()()めているようだった。

プライスはドイツ(へい)()とうと思ったが、(ちゅう)(ちょ)した。(てき)()(ぶん)たちの存在(そんざい)に気づいていないようで、()(ぶん)たち5(にん)こそ(ほん)(たい)から()(りつ)しており、ここで発砲(はっぽう)したら存在(そんざい)()づかれてしまうと(おも)ったからである。
 安全(あんぜん)にこの()(はな)れることが(きゅう)()だった。プライスは(あた)りを()(まわ)し、ドイツ(へい)がいないのを確認(かくにん)して()(じょう)()た。そのときルノワール()は「(もど)れ」と(こえ)をかけたが、その(しゅん)(かん)(じゅう)(せい)(とどろ)いた。
 プライスは(じゅう)(だん)を受け、()(じょう)(たお)れた。グッドマーフィと()()わせた23(さい)(かん)()()アリス・グロットが()(けん)(かえり)みず()(じょう)()()し、プライスの(からだ)()きずってルノワール(てい)(はこ)んだ。ルノワール()(じん)とグロットが懸命(けんめい)(かん)()(つと)めたが、(じゅう)(だん)(みぎ)(むね)(めい)(ちゅう)しており、()(ほどこ)しようがなかった。プライスが(いき)()()ったのは、11(がつ)11(にち)10()58(ふん)(きゅう)(せん)(きょう)(てい)発効(はっこう)の、わずか2(ふん)(まえ)であった。

 11()(きょう)(かい)(かね)(むら)じゅうに()(ひび)いた。4(にん)のカナダ(へい)にとって、プライスの()(たい)(かか)えて(はし)(もど)ることは、文字(もじ)(どお)(いのち)がけだった。だが()(そう)された(じゅう)(げき)はなく、(なん)()(けん)もなく(はし)(わた)ることができたので、(かれ)らは不思議(ふしぎ)(おも)った。

(てき)はどうして()って()ないんだ?」

「さあな。1()(かん)(はや)いランチタイムかな。」

アーブレの(まち)に入ると、大勢(おおぜい)(ぐん)(しゅう)(とお)りで歓声(かんせい)()げ、()()っていた。グッドマーフィは()った。
 「(なに)があったんだ?」
 「(なに)がって? 戦争(せんそう)()わったんだよ! ()きてこの(とき)(むか)えられて、本当(ほんとう)()かった!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テキスト ボックス: プライス最期の地記念碑。「1918年11月11日午前10時58分第一次大戦の西部戦線におけるカナダ軍兵士として最後にカナダ第2師団第6歩兵旅団第28ノースウェスト大隊のジョージ・ローレンス・プライス上等兵がこの付近で殺害されたことを記念して彼の同士により1968年11月11日建立された」と刻まれている。



テキスト ボックス: かつて木製だった小さな橋は、現在は鉄橋に代わり「ジョージ・プライス橋」と命名された。運河は後年拡張され、ルノワール邸も今はない。

 

 

 

 

 

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